地域の力を活かし、子どもたちを健やかに育てましょ

宇土市人材活用事業事前研修会
宇土市公民館


 おはようございます。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。学校を核とした地域の寺子屋プランナーと紹介いただきました。学校を核とした地域の寺子屋について少し説明します。これは熊本県教育委員会社会教育課が昨年から始めた事業です。学校を核とした地域の寺子屋とは、本市で進めておられます「宇土市人材活用事業」のような学校応援団活動でありますとか、学校支援本部事業や放課後子ども教室、子どもの登下校時の安全安心見守り、その他いろいろな形で地域の人が学校教育を応援していらっしゃる活動を総称した呼び名です。このような活動を県内全域に広め、充実したものとするため普及啓発の仕事をする私のような立場の者をプランナーと称して3人配置しています。また、地域では得難いような人材を活用した教育活動を展開したいという時に県で組織していますボランティアチームを派遣しています。私の担当地域は、上益城、宇城、天草です。本日は、これまで私が取り組んだことや各地域での取り組み事例などをもとに、「地域の力を活かし、子どもたちを健やかに育てましょう」というテーマで話をします。どうぞよろしくお願いします。
 昨日(平成26年6月4日)の朝日新聞の川柳欄に
  「山上憶良が絶句する事件」というのがありました。これは、つい最近の事件から子育てに対しての警鐘を鳴らす川柳だと思います。
 万葉の詩人山上憶良は、
  「銀も 金も玉も 何せむに 勝れる寶 子にしかめやも」と詠んでいます。これは、「金銀財宝何するものぞ、子に勝る寶は他にない」ということを詠った和歌ですよね。作者は、万葉の時代から子は宝物として育てられていた子育てが崩れていることに痛烈な警鐘を鳴らそうと投句されたのだと思います。
 5月30日、神奈川県厚木市のアパートから白骨化した子どもの遺体が見つかったでしょう。どんな理由があったのか知りませんが血を分けた我が子を置き去りにして、母親は出て行き、父親は2日か3日おきに我が家に帰り、コンビニで弁当を1食分買って与えていたそうですね。これでは死ぬかも知れないという自覚はあったと言うではありませんか。そして、窓には目張りまでしていたと報道がありました。さらに、死体遺棄が発覚しないようにアパートの家賃は払い続けていたという話でした。この報道を聞いて皆さんも驚かれたでしょう。私にはちょうど2歳になる孫娘がいます。それは可愛いです。こんなあどけない子を置き去りにするなんて人のすることではありません。子に対する愛情というものがなかったのでしょうか。児童虐待は後を絶ちません。親のつとめを果たさない保護者がいると言うことを改めて思い知らされました。少子化対策ばかりではなく、家庭教育の基礎の部分、命の教育のあり方にもっと手を打たねばならないと思いました。
 また、6月3日、栃木県で学校の帰りに1年生の女の子が連れ去られ殺された事件の犯人がつかまりました。あの事件は平成17年のことでした。
 平成10年前後から、世の中を震えさせる事件、それも子どもをターゲットにした事件が続きました。まだ皆さんの記憶に新しいと思いますが、平成9年、神戸で小学生が殺傷される事件がありました。酒鬼薔薇聖斗事件といわれました。詳細は口にするのもおぞましいものでした。平成13年には、大阪の池田小学校に刃物を持った男が乱入し、子どもたちを斬りつけ殺傷するという事件が起きました。平成16年には、奈良で下校中の小学1年生の女の子が誘拐・殺害されました。この年、佐世保市の小学校では6年生の女の子が同級生を学校で殺害するという事件もありました。平成17年11月、広島県で下校中の1年生の女の子が殺されました。そして12月栃木県で同じような事件が起きました。その犯人が先日捕まったのです。
 このような子どもたちに関わる重大事件の続発、青少年の問題行動の深刻化、そして家庭の教育力の低下などの緊急的課題への対処と未来の日本を創る心豊かでたくましい子どもを社会全体で育てていきましょうと、文科省は平成16年「地域子ども教室推進事業」を実施しました。そして、平成19年度から「放課後子ども教室推進事業」が始まりました。
 これが、地域での子どもたちの安全・安心を創り上げる活動となり、子どもたちの登下校時に子どもの安全を見守る見守り隊や皆様方が行っておられる学校応援団活動となっているのです。
 先ほど、家庭の教育力の低下という言葉を使いました。私が見聞きしたいくつかを紹介します。 私の中学生時代の同級生から聞いた話です。熊本空港の近くにクヌギ林があります。同級生は孫にカブトムシをプレゼントしようとカブトムシを朝早く捕りに行ったと言うのです。同じ時間帯に、小学3年生くらいの男の子を連れた親子連れも来ていたそうです。1時間ばかりで同級生は10匹ばかりカブトムシを捕ったそうです。親子は1匹も捕っていなかったそうです。その父親は同級生のカブトムシを見て、「おっさん、そのカブトムシば売ってはいよ」と言ったそうです。同級生は即座に「売らん!」と言ったというのです。そして、俺は父親が「カブトムシはどぎゃんところにおるな?」と聞くなら教えるつもりだった。そるば、売ってはいよぞ、有りちゃん、この話ば聞いてどぎゃん思うや?と言ったのです。体験活動の機会が少なくなったのは子どもだけではなく親世代も同じだなと思いました。
 バーチャル体験という言葉があります。テレビなどの映像を見て体験したような感覚を得ることです。例えば、イヌが疾走している様子をテレビ画面で見て、犬とはどんな動物かを知ったとすることです。走っているときの犬の表情、足の動かし方、耳の揺れ具合、しっぽの動きなどはテレビの映像で分かります。しかし、心臓の鼓動や走った後の体温、息づかい、あるいはにおいなどはテレビでは分かりません。目の前にいる犬に触れたり、においをかいだり、5感を通して犬を理解しなければ犬について知っているとは言えません。体験することの大切さはここにあります。また、カブトムシ採りの親子で言いますと、何でもお金で解決できるると思う人が増えてきた一端を知らされた思いがしました。体験というのは自分の体を使って苦労して何かを得ることでしょう?スーパーなどのお店に打ってあるものを買うのとは違います。
 もう一つ紹介します。私の家の近くの公園で見かけた子どもたちの様子です。数人の子が滑り台の上で輪になっています。話をしているのではないのです。一人ひとりが自分が手にしたゲームに夢中になっているのです。一緒にはいるもののしていることはそれぞれ違います。これでは一緒に遊ぶとは言えないでしょう。群れ遊びというのはみんなで同じものをして遊ぶことです。私が小さい頃、年齢の違う近所の子どもたちとつるんで同じ遊びに興じていました。かくれんぼをしたり鬼ごっこをしたり、陣取りをしたり。皆さんも私と同じ年代のようですからこのような遊びをしていらっしゃったでしょう?陣取りで思い出すのは、年の差が10歳違う1番下の弟をおんぶして遊んでいるときのことです、背中がじわーっと温かくなることがありました。小便を漏らしてしまったのです。そんなとき、陣取りから一時離れておしめを取り替えに帰り、また遊びに興じていました。そんな時、あいつは陣から離れているけど休戦中だとの暗黙のルールがありました。自分たちでルールを作り、それをみんなで守って遊んでいました。
 ちょうど今の季節は梅の実が食べ頃です。ポケットには塩を新聞紙に包んで入れていました。よその家の梅を無断でちぎって食べ、叱られたこともありました。そんなとき中学生などから「梅をちぎる時は断れ!ってあぎゃん言うたろが」とまた叱られていました。秋に柿の実をちぎる時など、「柿の枝は生枝も枯れ枝も同じに見えるけん用心せにゃんぞ」と教えてもらいました。私はこのようなことが兄弟の絆を強くしたり、隣近所の友達とのつながりを強くしていたと思います。また、群れ遊びを通してルールをまもることや協力することの大切さ、我慢しなければならないことがあるなどを学びました。
 皆さんは、学校応援団としてよく学校に行っていらっしゃいますから今の学校の状態はお分かりと思いますが、今の学校の様子を少しお話しします。
 今、学校教育への期待が高まっています。その期待は、子どもたち一人一人の学力向上でありますとかキャリア教育、問題行動への対応、子どもたちの安全安心な居場所づくり等多岐に亘っています。これらを学校だけが背負い込むことはできません。そこから地域と連携した学校教育を展開していこうとの考えが出てきました。例えば、文科省が進めています学校支援地域本部、放課後子ども教室、コミュニティ・スクールなどです。県では熊本版コミュニティスクールや学校を核とした地域の寺子屋などが進められています。本市ではこのような動きをいち早くとらえて、網田小学校ではそろばん特区でそろばん学習を進められました。計算力向上などに効果があるとのことで今では市内全小学校で年間20時間程度のそろばん学習を取り入れておられます。また、網田小・中学校をはじめ、網津小学校、緑川小学校、走潟小学校ではコミュニティスクールの指定を受け地域に開かれ、地域と協働して児童生徒を育てる教育を展開しておられます。皆さんはそのお手伝いをしていらっしゃいます。
 このように、学校が持つ教育力だけで子どもを育てる時代から、学校・家庭・地域社会が連携しながら子どもを育てる時代へと移行しています。そのような視点から本市で「宇土市人材活用事業」を推進していらっしゃいますことに敬意を表します。
 先ほどの実践発表で、宇土東小学校の先生は運動会種目、集団演技のおどりを地域の人に教えてもらう取り組みを通して地域の伝統芸能を正しく受け継ぐことの大切さを話されました。能の謡い、能面体験を指導された○○さんは日本の伝統文化を子どもたちに伝えることは私たちの使命だとおっしゃいました。これがご挨拶で課長が示された「郷育(きょういく)」だと思います。
 子育てについてみてみましょう。核家族化や少子化により家庭教育にも変化が出ています。
 私は益城町の社会教育指導員をしていました。益城町教育委員会では公民館の主催講座が16講座あります。益城町には学習意欲旺盛な方々が多く、講座受け付け初日は体育館で行っています。受講申し込みに3歳くらいの幼児をつれた若いお母さんがおいでました。手続きを済ませ、帰るときのことです。体育館玄関で、幼児に対して「○○ちゃん、あんよ出して」と言って足を出させ、お母さんが靴を履かせて手を引いて帰られました。しばらくして、おじいさんが同じくらいの年格好の孫を連れて申し込みに来られました。そして帰るとき、「○○、靴は自分で履ききるど?じいちゃんが見とるけん、自分で履け!」と言って孫が靴を履くのをじっと見ておられます。知り合いの方でしたので私も一緒に見ていました。幼児は靴を履くのに四苦八苦しています。しばらくしたら自分で履けました。おじいさんは「あーあ、右と左反対に履いてしもうたね。ばってん歩ばるっど。」と言って孫の手を引いて帰られました。私はこの二つの靴を履くという行為を見て、家庭教育のあり方を考えさせられました。「子どもが自分でできることは自分でさせる」が家庭教育の基本であると思います。過保護とか過干渉とか言う言葉があります。この二つの事例だけで全てがこうだとはいえませんが、家庭教育のあり方を考えさせられました。
 次は、母親と子どもの会話から考えたことです。昨年の6月頃の暑い日、3、4歳くらいの子が公園の噴水の下で水遊びに興じていました。噴水の水に打たれて気持ちよさそうでした。そして「ママー、見て。虹のきれいかぁ。」と母親に声をかけました。母親は携帯操作に夢中で、子どもが何度「虹がきれい」と言ってもその声に無反応でした。そして、携帯操作が終わったのか、「○○ちゃん、帰ろう」と遊びを止めさせて帰りました。水遊びの楽しさや虹の美しさをどうして親子で共有しないのだろうと私は思いました。楽しさや美しさに共感する者がいることで感動は倍加します。
 以前は、家族間の愛情、つながり、信頼感がにじみ出ている光景をよく見かけました。
 皆さんの中には、無着成恭さんをご存じの方もいらっしゃると思います。山形県で綴り方教育を通して生活を見つめ直し、学力を高める教育を展開された方です。その無着成恭さん編集の「ふぶきの中に」に「屁」という詩があります。読んでみてください。

     「屁」         横戸 栄子

  葉煙草の収納がちかづき
  家中きちがいのように葉煙草をのしているときだった。
  あねさが、
  私の家に嫁に来てから七年もたち、
  二人も、子供を持っているあねさが、
  前にからだをまげたひょうしに、
  プッと 屁をむぐしてしまった・・・・・

  私の家に嫁に来てから
  はじめてたれた屁であった。
  あねさは顔を真っ赤にし、
  「仕事の方さばっかり気とらっで
  むぐしてしまってはあ。
  おら、ぶちょうほうしたっす。」

  「みんなあることだ
  仕事しているときなのなおさらっだべづ。
  ほだな、きにすんな。」
  と慰めながら「おっかあ」を見ると、
  おっかあも
  「ンだ、ンだ。だれでも、あるごんだ。」
  といって笑った。

 「むぐす」は、東北地方の方言で「漏らす」という意味だそうです。
 どうですか?思わず笑い出している方もいらっしゃいますね。「屁」を漏らした姉さんの恥ずかしそうな表情、それを気遣う栄子さんの心情、お母さんの優しさなどが手に取るように分かりますね。この詩には、家族の温かい愛情がにじみ出ています。日頃は、口にすることがはばかられる「屁」を題材としたこの詩は、そんな家族の心のつながりを見事に表現しています。また、互いに信頼しあっている家族だからこそこんな詩ができたのだろうと思います。これこそ、この家庭で生活している栄子さんにしか書けない詩だと思います。
 このように、子育ての中には家庭でしかできないことがたくさんあります。親子は、血のつながった自然関係です。関係の深さは濃密です。その濃密な関係だからこそ、親にしかできない子育てがあると私は思います。先ほどの携帯に夢中になっていた母親との違いを感じます。
 ほんのある一場面の出来事から今日の家庭教育や社会教育、あるいは子どもたちの世界はこうだと論じることはできませんが、今の子どもたちのおかれている状況を垣間見た思いがしましたので紹介しました。
 地域ので教育活動の例として紹介しようと思っていた言葉がここに掲げてあります。公民館綱領の2に「三つの恩を忘れず感謝の気持ちを持って生活しましょう」とあります。旧豊野町子供会育成会長さんは、「今の子どもたちは、親の恩、先生の恩、地域の恩、この三つの恩を忘れかけているように思う。この三つの恩を子どもたちに育んでいこうではなかな」と話されました。ここに掲げてある三つの恩はどんな恩のことを指しているのかは分かりませんが、地域の恩は共通していると思います。学校応援団活動は、地域の恩を子どもたちに育む大きな取り組みの一つだと思います。
 このほかにも学校と地域が連携することの意義はたくさんあります。
 第1は、地域教育力の向上と地域づくりにつながることです。
 地域の人々が学校教育を応援する取り組みは、地域の人々の学習の成果である知識・技能を活かす場であることです。それが生き甲斐の一つとなります。益城町公民館講座そろばん教室で学んだSさんの手記を読んでみます。
そろばん学習で得たもの
S・S
 私は、70歳でそろばん教室を受講しました。60年ほど前、そろばんを学校で少し習いました。それ以来のそろばんです。ですから、「1+1」から教えて頂きました。10までの足し算・引き算ができるようになり、見取り算の練習に入りました。そして、かけ算・割り算を教えて頂きました。練習を始めて6ヶ月後、8級の検定試験を受けました。試験を前に、心臓がどきどきするのが分かります。試験となるといくつになっても緊張するものです。試験に合格し、先生から合格証を戴いたときのうれしさは忘れることができません。小中学生の頃にかえったようでした。それから、そろばんのおもしろさが分かり、毎日、時間を見つけて練習しました。4級の試験では、210点での合格でした。練習の時は、ほとんど満点が取れていました。合格はしたもののあまりうれしくありませんでした。そこで、家で一人、試験のつもりでやってみました。かけ算・割り算・見取り算すべて満点でした。思わず、万歳と叫びました。
 小学校のそろばんの勉強の手伝いに行きました。親指だけで珠を入れる子、珠を入れるのは親指か人差し指か迷っている子、5珠が下りているときの足し算の仕方が分からないで悩んでいる子、それらが手に取るように分かります。「7はいくつで10になるね」などの声かけで、「分かった」と珠を動かしていきます。分かったときのあの笑顔は忘れることができません。私のちょっとした声かけで子どもが分かったときは、私もうれしくなりました。そろばんの勉強が終わって、給食をごちそうになり子どもたちといろんな話をしました。
 近くのスーパーで買い物をしているときなど、「あっ、そろばんの先生。こんにちは」と挨拶する子が増えました。私も、「そろばんの勉強はしているね?」「先生の話はちゃんと聞いているね?」などと声をかけるようにしています。
 そろばんの練習を通して、新しい友だちができました。子どもたちとも顔見知りになりました。これは、私の一生の宝物です。
 Sさんは、「私のちょっとした声かけで子どもが分かったときは、私もうれしくなりました。」、「『そろばんの先生。こんにちは』と挨拶する子が増えました。私も、『そろばんの勉強はしているね?』『先生の話はちゃんと聞いているね?』などと声をかけるようにしています。」、「そろばんの練習を通して、新しい友だちができました。子どもたちとも顔見知りになりました。これは、私の一生の宝物です。」と書いています。まさに自分の生きがいとなっています。
 また、網津小学の校長先生から、「ボランティアの方は『子どもと一緒に活動して子どもから元気をもらいました。』とか『子どもたちのがんばる姿や笑顔に癒されます。』など私に話されます」などとお聞きしました。
 二つは、知識・技能を活かす取り組みによって地域の人々の交流や新たな学びあいが生まれることです。益城町の公民館講座「そろばん教室」の皆さんは、教室が始まる前や休憩時間、あるいは教室が終わってから、珠の入れ方や取り方を始め、足し算や引き算、かけ算や割り算の教え方、子どもへの声のかけ方などを互いに教え合い、学び合っています。そして、「なーるほど、そんなアドバイスをすればよく分かるね。今度私もそうしてみよう」などと学び合いが実践へと繋がっています。中には、近所の子どもを集めてそろばんを教えている人もいます。そろばん指導から採点ボランティアへと広がり、友を誘って学校に行くなど学校応援団の輪が拡がっています。
 また、学校応援団活動により子どもの生きる力が育ちます。それは、自尊感情が醸成されること、人間関係づくりの能力が向上すること、学ぶ意欲が向上することなど多岐にわたります。
 宇土市内の学校でも、学校支援ボランティアの方にお礼状を書くと思いますが、そこに示していますのは益城町のある小学校の子どもたちの学校支援ボランティアへのお礼の手紙から抜粋したものです。
 ・「字が上手だね。読みやすいなー。」と言ってくれてうれしかった。
 ・1問間違えた時、「あとちょっとだね。」と言ってくれてうれしかった。   
・「がんばったね。」と言ってくれてうれしかった。
・「もちょっと丁寧に書くと、読みやすいよ。」と言ってくれてうれしくなりやる気が出てきた。
・「おはよう。」と大きな声で挨拶してくれて、僕は元気になります。
・「おはよう、行ってらっしゃい。」とか「お帰り、学校楽しかった?」と聞いてくれたりしてとてもうれしいです。
 ・(ボランティアは)お仕事ではないのに自分から進んでやるなんて本当にすごいし、かっこいいと思います。今度から僕も進んでゴミを拾ったりしたいと思います。大人になったらボランティアをしたいです。 
 また、今いただきました「平成26年度宇土市人材活用事業」の冊子に宇土東小学校の1年生が
「わたしはおじゃめのかいでお手玉をしてとてもたのしかったです。いまは2こしかできないけどもっともっとれんしゅうして、かたてとか3こでもできるようにしたいです。きょくにあわせてするのははやくなったりしてむずかしかったです。」
 とお礼の手紙に記しています。
 読まれてお気づきのように子どもたちは、「地域の人から見守られている」ことを実感しています。この見守られていると実感することで自尊感情が育まれていきます。やる気が出てきます。
 自尊感情というとちょっと難しく思われるかも知れませんが、皆さんは大相撲で人気者だった高見盛さんを知っていらっしゃるでしょう。そうですね。仕草が大げさで人気がありました。あの高見盛が相撲に勝って花道を引き揚げる時、どうしていましたか?そうですね。胸を張り天井を見上げるようにして引き上げていたでしょう。逆に負けた時は、下を向いてとぼとぼと帰っていました。あの高見盛が相撲に勝って引き上げる姿が自尊感情が高い状態。下を向いて帰る姿が自尊感情が低い状態と思ってください。低い状態が続くと、子どもたちは引きこもりや不登校にならないとも限りません。私たち高齢者にとっては、高齢者鬱病にならないとも限りません。皆さんのお友達や近所の方で、あの人は近頃下ばかり向いているという人がいたら声をかけてください。「どぎゃんしたつな?私にできることはなかな?」などを。少し横道にそれました。元に戻します。
 子どもたちは皆さんを自分の将来のモデルとしてとらえているのです。「自分も将来、ボランティア活動をしようと思う」の言葉からそれが伺えるでしょう?
 このように子どもにとっても、先生にとっても、地域の人々にとってもプラスに働く学校応援団活動の効果を大阪大学教授、志水宏吉先生は「スクールバスモデル理論」として説明しておられます。図をご覧になりながら話を聞いてください。バスの4輪を次のように表しておられます。 
 右前輪が先生による学習指導、左前輪が子どもたちが繋がり感を実感する生徒指導、右後輪が家庭の教育力の向上と学校支援・協力、そして左後輪が地域の教育力の向上と学校支援・協力、この4輪がうまくかみ合って子どもたちは確かな学力を身につける。確かな学力を身につけた子どもたちがいる学校が力のある学校というのです。理論的にも地域の応援団の有用性が分かります。
 宇土市では、以前から学校応援団人材バンクを作り、学校を応援していらっしゃいます。
 学校応援団とはあくまでもボランティア活動ですから、自ら進んで、できることを できるときに行うものですよね。その根底には、地域の皆様に「地域の子は地域の力で育もう」という考えへの共感があること、学校では地域の支援を受け容れようとする姿勢があること、この両者が相まって「教育活動」として行われる活動です。
 もう既に本市では取り組まれているものばかりですが、読み聞かせ、傾聴、採点、昔遊び、郷土料理、ミシン裁縫、登下校時の見守り、さらには、習字、そろばん、焼き物、絵、郷土史、環境問題、農業体験、など学校応援分野を拡げて欲しいと思います。
 「風土」という言葉があるでしょう? この言葉から生まれたのかどうかは定かではありませんが、「風の人」「土の人」という言葉があります。この言葉を学校教育の場で使うなら、先生は風の人ですね。先生方は同じ学校に長くて7年しかいらっしゃいません。異動により転勤された学校に新しい風を吹き込んでいらっしゃいます。これに対して土の人は皆さん方地域の人です。そこに住み、生活している人が土の人だと私は思います。土の人が学校に出向いてその地域の歴史や文化、自然環境などを子どもに語り、地域の良さを子どもに引き継いでいます。これはふるさとを愛する子どもを育てる郷土学習ですね。この風の人と土の人がうまく調和し合って子どもを育てることを目指しているのが「宇土市人材活用事業」であると思います。
 終わりに、学校応援団活動の課題について少し触れます。一言で言いますと、応援団の固定化と高齢化です。この課題解決に早く取り組まねばなりません。
 私は今益城町の広安小学校のクラブ活動で昔遊びの一つ、ちょんかけごまを教えています。ちょんがけごまを回せる人があまりいません。熊本城二の丸公園で保存会の人がちょんかけごまの普及を兼ねて練習していらっしゃるでしょう。保存会などがある昔遊びなどは別ですが、保存会などがない遊びはこのまま放っておけばそのうちになくなります。昔遊びを指導できる人がこれから何十年も生き続けることはできませんから。
 例えば竹馬です。竹馬の乗り方はバランスの取り方がうまくできれば乗ることができますので誰でも教えることができます。ですが、作り方は簡単にはいきません。ある学校では、竹馬ではなく鉄でできている竹馬もどきで乗り方を学んでいました。私は思わず「これは竹馬ではなく鉄馬たい」と言ってしまいました。ある幼稚園では、東南アジアから輸入したという竹馬で遊んでいました。今昔遊びを教えることができる人は絶滅危惧種です。私は益城町でPTAに「昔遊びをお父さんお母さんたちができるようになりましょう」と呼びかけています。PTAとか団体、行政で後継者を養成していかねばならないと思います。
 このような意味からも事例発表された方が伝える義務があるという言葉を重く受け止めることが大切だと思います。
 この取り組みが末永く続きますこと、さらに充実した取り組みになりますことを祈念申し上げ話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。